2010年03月25日
心の打撲
私の師匠が、昔、こんなことを言っていました。
それは、「物理的な打撲よりも精神的打撲、つまり心の打撲の方が厄介だ」と。
心の打撲は、目にはっきりとした形では見えないので軽視されがちなのですが、心の打撲も、物理的な打撲と同様に私たちの日常の生活の中によくあることであり、その心の打撲の衝撃が心に内攻してしまいますと人生を苦しみの中で生きてしまうこともありえるのです。
では、心の打撲とはどんな時に受けてしまうのでしょうか?
それは、、、
暴力をふるわれた時、
言葉などで強く傷つけられた時、
とても寂しく、悲しい思いをした時、
とても恐い思いをした時、
言いたいことを言おうとして、鋭くたしなめられた時、
やりたいことをやりたくても、鋭くたしなめられた時、
身体を打撲しますと、たんこぶや出血ということが起こりますが、心にとってはそれらが、
涙であったり、
叫び声であったり、
荒い行動であったり、
過食であったり、
衝動買いであったり、という形で現れます。
こうして表現されている状態であればまだよい方なのですが、それを抑えつけようとしますと、その感情が今度は心の中で内攻して凝固することが起こるのです。たとえば、
言いたいことを言おうとしても、その場を適当に誤魔化されたり、
理屈で諭されたり、
子供であれば親によって強い力で押さえ込まれたり・・・と、
こうした状態が続きますと、『言ってもダメだ、何をしてもダメだ』と思い込み、やがて反抗する気力も、泣く気力も失くしてしまいます。
こうして感情が内攻してしまいますと、その心の凝固を弛めるのが難しくなってしまいます。
適当な慰めやプラス思考の言葉でその心の凝固を弛めようとしても功を成さず、場合によってはそれが更に凝固の緊張をあおり、ますます心を歪めてしまうことになります。
心の奥に潜む凝固したものを外に出すには、身体の打撲と一緒で、大きな痛みを伴う腫れ・出血として出さなければいけないことがあります。
それはとてもとても辛いことです。
場合によっては、それがあまりにも辛く、生命に大きな影響を与えるレベルのものであれば、心の奥底に深く封じ込め続けて生きていくことも必要な場合もあるでしょう。
そうならない為に、心のたんこぶや出血は軽度のうちに少しずつでも小まめに出して整理しておく必要があるのです。
それを出すということは、
涙を流すことであったり、
大きな声で叫ぶことであったり、
過食であったり、
衝動買いであったり、
物を壊したり投げたりといった荒い行動であったり、
人に対する八つ当たりであったり、
人の身体に傷を負わせる人もいるかもかもしれません。
ですが、これらの心のたんこぶや出血では、一見、表面に出されたような形にはなってはいますが、実のところ、打撲した処に湿布を貼ったり、冷やしたりといったような対処療法をしているようなもので、根本的な解決にはなっていないのです。
それにはやはり、身体の打撲と一緒で、大きな痛みを伴う腫れ・出血として出さなければいけないのです。
つまり自分の心の傷と、自分の弱さと、向かい合い、直視しなければいけません。
それには、様々な恐れが伴うことでしょう。
少しずつでもよいのです。
自分の現在の心の処理能力と相談しながら、ちょっとの無理をして、出していかなければいけないと思います。
身体の痛みよりも心の傷みの方が辛いかもしれません。
ですが、そうして自分に正直になり、ありのままの自分を認め、心を整理していくことが、本当の意味での心の打撲の処理になるのです。
他に近道はありません。
楽な道ではありません。
厳しいようですが、それが心の摂理なのです。
★お付き合いくださり、ありがとうございました・・・感謝しています
整体室のホームページです
http://www.h4.dion.ne.jp/~shizen-k/
《過去のブログ記事を整理して掲載しています》
『新潟整体室自然健康堂(野口整体)』
新潟市中央区東大通2-2-9 トーカン万代第二ビューハイツ810
TEL 025-243-0287
(胎内市でも隔週の日曜日にて活動中)
それは、「物理的な打撲よりも精神的打撲、つまり心の打撲の方が厄介だ」と。
心の打撲は、目にはっきりとした形では見えないので軽視されがちなのですが、心の打撲も、物理的な打撲と同様に私たちの日常の生活の中によくあることであり、その心の打撲の衝撃が心に内攻してしまいますと人生を苦しみの中で生きてしまうこともありえるのです。
では、心の打撲とはどんな時に受けてしまうのでしょうか?
それは、、、
暴力をふるわれた時、
言葉などで強く傷つけられた時、
とても寂しく、悲しい思いをした時、
とても恐い思いをした時、
言いたいことを言おうとして、鋭くたしなめられた時、
やりたいことをやりたくても、鋭くたしなめられた時、
身体を打撲しますと、たんこぶや出血ということが起こりますが、心にとってはそれらが、
涙であったり、
叫び声であったり、
荒い行動であったり、
過食であったり、
衝動買いであったり、という形で現れます。
こうして表現されている状態であればまだよい方なのですが、それを抑えつけようとしますと、その感情が今度は心の中で内攻して凝固することが起こるのです。たとえば、
言いたいことを言おうとしても、その場を適当に誤魔化されたり、
理屈で諭されたり、
子供であれば親によって強い力で押さえ込まれたり・・・と、
こうした状態が続きますと、『言ってもダメだ、何をしてもダメだ』と思い込み、やがて反抗する気力も、泣く気力も失くしてしまいます。
こうして感情が内攻してしまいますと、その心の凝固を弛めるのが難しくなってしまいます。
適当な慰めやプラス思考の言葉でその心の凝固を弛めようとしても功を成さず、場合によってはそれが更に凝固の緊張をあおり、ますます心を歪めてしまうことになります。
心の奥に潜む凝固したものを外に出すには、身体の打撲と一緒で、大きな痛みを伴う腫れ・出血として出さなければいけないことがあります。
それはとてもとても辛いことです。
場合によっては、それがあまりにも辛く、生命に大きな影響を与えるレベルのものであれば、心の奥底に深く封じ込め続けて生きていくことも必要な場合もあるでしょう。
そうならない為に、心のたんこぶや出血は軽度のうちに少しずつでも小まめに出して整理しておく必要があるのです。
それを出すということは、
涙を流すことであったり、
大きな声で叫ぶことであったり、
過食であったり、
衝動買いであったり、
物を壊したり投げたりといった荒い行動であったり、
人に対する八つ当たりであったり、
人の身体に傷を負わせる人もいるかもかもしれません。
ですが、これらの心のたんこぶや出血では、一見、表面に出されたような形にはなってはいますが、実のところ、打撲した処に湿布を貼ったり、冷やしたりといったような対処療法をしているようなもので、根本的な解決にはなっていないのです。
それにはやはり、身体の打撲と一緒で、大きな痛みを伴う腫れ・出血として出さなければいけないのです。
つまり自分の心の傷と、自分の弱さと、向かい合い、直視しなければいけません。
それには、様々な恐れが伴うことでしょう。
少しずつでもよいのです。
自分の現在の心の処理能力と相談しながら、ちょっとの無理をして、出していかなければいけないと思います。
身体の痛みよりも心の傷みの方が辛いかもしれません。
ですが、そうして自分に正直になり、ありのままの自分を認め、心を整理していくことが、本当の意味での心の打撲の処理になるのです。
他に近道はありません。
楽な道ではありません。
厳しいようですが、それが心の摂理なのです。
★お付き合いくださり、ありがとうございました・・・感謝しています
整体室のホームページです
http://www.h4.dion.ne.jp/~shizen-k/
《過去のブログ記事を整理して掲載しています》
『新潟整体室自然健康堂(野口整体)』
新潟市中央区東大通2-2-9 トーカン万代第二ビューハイツ810
TEL 025-243-0287
(胎内市でも隔週の日曜日にて活動中)
Posted by 心羽 at 18:37│Comments(0)
│心の打撲
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。